体外受精時の排卵誘発の考え方:低刺激か?高刺激か?


「低刺激法」 v.s. 「高刺激法」の構図

体外受精のプログラム時、多かれ少なかれ(強かれ弱かれ)何らかの排卵誘発を行うことが多いかと思います。
この排卵誘発法、大きく分けて「低刺激法」「高刺激法」があります。

「低刺激法」
基本的にクロミッドなりの内服(+少量のhMG注射)で排卵誘発するのが一般的かと思います(多少minor changeもあります。)

発育卵胞個数は、卵巣予備能がいい場合でも多くてせいぜい4個とか5個までで、一般的には1個~4個の採卵数になるかと思います。
【利点】
副作用(OHSS)の発症率が低いことですが、その他通院回数が少なく、薬剤使用が少ない分、費用も一般的に安価なようです。採卵個数が少ないので、ART手技料を下げているところもあるようです。

【欠点】
一般的には、高刺激法と比べ、採卵数が少ないため、妊娠率が劣るとする報告が見られます。


「高刺激法」
連日のhMG製剤の注射で排卵誘発を行う方法です。自然排卵(LHサージ)を抑える目的で用いる薬の種類や使い方により、アンタゴニスト法とかロング法などと呼ばれますが、基本は「hMGの連日注射」です。

卵巣予備能に見合った卵胞発育、採卵数となります。
すなわち、卵巣予備能が良ければ、15個とか20個とか、もっと採れることもありますが、卵巣予備能が低いと、低刺激法とほとんど変わらない状態になります。
【利点】
一般的に、低刺激法に比べ妊娠率が高いとする報告が多いようです(採卵数が多いので、その中から見た目の良い受精卵を選び出せるから)。

【欠点】
副作用(OHSS)の発生があります(但し、きちんと管理すれば、深刻な状態に陥ることは稀です)。そのほか、連日の注射のため通院回数が多く、薬剤費、手技料などが高価となるようです。


で、この排卵誘発法の選択、医療機関によって「低刺激法推進派」v.s.「高刺激法推進派」みたいな構図になっていて、さらには患者さん達も
「私は低刺激法を信じる」
「私には高刺激法が合っていた」
などなど、体験談的な議論(←最もエビデンスレベルが低い)になっていて、今から体外受精を行おうとする人にとっては、どっちへ行ったらいいのやら?ちょっと混乱状態になっているのは否めないでしょう。

「低刺激法推進派」の理論としては、
その周期に育つ卵胞は、体が選択してくれたものである。すなわちそれは、自然淘汰の摂理が働いているわけだから、自然に育った卵胞内の卵子が、その周期最も質の良いものである。なので、無理に排卵誘発をして、多数の卵胞を育てる必要はない。
といった感じでしょうか。
また、使用薬剤が少ない点を「自然に近い」とか「体に優しい」とかのキャッチフレーズとして使っているようです。

一方、「高刺激法推進派」としては、
何より妊娠率が高い、「高刺激法」が世界標準である、「低刺激法」を行っているのは日本だけである(最近ではそうでもないのかも)。
などと論じています。
で、「低刺激法推進派」v.s.「高刺激法推進派」のような構図になっちゃっているのです。

で、このような構図の弊害として、本当かどうか僕も実際に聞きに行ったわけではないので知らないのですが、患者さん達の話を総合すると、「低刺激法推進派」医療機関が患者さんにお話しするときに、
「hMGを使うと、卵巣がボロボロになり、その後、いい卵子が出てこなくなる」
「hCGは自然の排卵では使われないホルモンであり、これが諸悪の根源である」
といったニュアンスで説明するらしいのですね。
で、この話を聞いた結果、ある意味「洗脳状態」になる。
「hMGは毒なんだ!」
「hCGなんて決して使っちゃいけないんだ!」
と信じるようになる。
で、「低刺激法」で結果が出ればいいけど、なかなか妊娠できない人が、病院を変えようってことになって別の病院に来る。
転院先の先生は、
「じゃあ、高刺激でやってみたらどうでしょう?」
と勧める。
高刺激では、当然hMG、hCGを使うので、「hMG、hCGは毒である」と洗脳されている患者さんにとっては、
「そんな毒を使うのは絶対いやです!」
となって手詰まりになって、非常に困るわけです。
で、「低刺激法」v.s.「高刺激法」といった構図になっている訳です。

排卵誘発は「毒」か?「薬」か?

自然排卵崇高主義の理論、
「自然に選択された卵胞が、その周期最も質の良い卵子を含んでいる」
この理論、一見自然淘汰をくぐった価値を感じさせ、正しいように錯覚しますが、今のところ科学的に証明はされていないと思います(否定もされていません)。
そもそも、その一個が最も良質なら、成功率が「低刺激法」=「高刺激法」にならないとおかしいわけですが、現状考えられているのは、「低刺激法」<「高刺激法」のようです。

よく誤解されているのが、
「排卵誘発は来月分、その次の分・・・と、未来の卵子を取り出している。」
「なので、排卵誘発をすると、卵巣機能が下がり、閉経が早くなる。」
などの考えですが、これは(僕の理解では)そうではないと思います。
排卵誘発は「廃物利用」です。
月経時に胞状卵胞まで育った卵胞、この時点では複数個あります。
自然では、このうち一個だけが最終的に成長してきて、残りは成長できません。
(「閉鎖する」と言います。成長してきた一個が、他の卵胞が育つのを邪魔しているのではないか?と考えられているそうです。そういう意味では確かに自然淘汰の摂理が働いています。)

ところが、hMGを使うと、この「閉鎖する」運命にある卵胞も育ってきます。
で、沢山の卵胞が発育するという訳です。
つまり、「廃物利用」です。
将来の卵子を使っているわけではないのです。
先ほど、
「hMGを使うと、卵巣がボロボロになり、その後、いい卵子が出てこなくなる」
といった説明がなされていると書きましたが、現状ではこれ、やっぱり科学的にはおかしいと思います。
卵胞は、胞状卵胞になって初めてhMG(正確にはゴナドトロピン)感受性になる、と考えられています。
卵巣内に眠っているresting follicle~前胞状卵胞はゴナドトロピン非依存性と考えられていますので、hMGの影響は受けないはずです。
なので、hMGの使用は、「現在の」卵胞発育には影響しても、「未来の」卵胞には影響しないはずです。
なので、「卵巣がボロボロになる」とか「機能が悪くなる」というのはおかしい。

一方、hCGも同じで、確かにOHSSはhCGによっておこされます。「黄体嚢胞」の形成率もあがると思います。
必要が無ければ使わないのは僕も大賛成ですが、必要がある(利益がある)のに使わないのはいかがかと思います(大体、hCGが「毒」なら、妊娠してはいけないってことになります)。

しかしながら、 「今月、自然排卵してくる1個の卵子」
この意味は確かに非常に大きいと思います。
体の中のハーモニーのなせる技だと思うんですね。
きっといくつものホルモンが自然の摂理に従い、絶妙の塩梅で調和して一個の卵子を作り上げていく。その傑作が今月の一個の排卵になっているんだと思うんですね。
凄く上手なオーケストラを聴いているかのような、そんな絶妙のバランスを体は自然に作り上げているのでしょう。
それに対して、FSHとLHだけガンガン足せばいいかというと、さすがにそんなに甘くはないでしょ。
もともと調和しているオーケストラの中で、特定の楽器だけガンガン増やして、いい結果になるか?という話ですわ。
「閉鎖すべき運命にある卵胞内の卵子(つまり、排卵誘発の結果育ってきた卵子、本来なら自然淘汰を受けていた卵子)が、本当に機能を十分備えていると言えるのか?」

という疑問が残ります。
「排卵誘発とゲノムインプリンティング異常症の関連性」
などということが時々言われます。
そう考えると、行わなくていい排卵誘発は行うべきではないとも言えます。
排卵誘発は、はたして「毒」なのでしょうか?それとも「薬」なのでしょうか?
どちらの理論も一理ありそうです。 

【「どくさま」流治療戦略】排卵誘発法の選択!

原点に帰って考えてみましょう。
そもそも、排卵誘発はなぜ行われているのか?
沢山の卵子を得るため。
なぜ沢山の卵子を得なければいけないのか?
妊娠するため。
妊娠するためには、本当に沢山の卵子が必要なのか???

「42才の方から15個卵子が採れた」→少し心もとない
「20才の方から15個卵子が採れた」→採り過ぎた

トータルの治療一回当たりの妊娠率から考えると、妊娠確率は
(卵子一個当たりの妊娠確率)×(卵子数)
になる。
すなわち、一定の妊娠確率を得るには
「卵子の質が悪いほど多くの卵子数が必要」
「卵子の質の低下をカバーするのが卵子数」

という計算になりませんか?
つまり
排卵誘発は、卵子の質の低下が予想される場合に、数で対抗する治療法
と考えられる訳です。

卵子の質の低下が予想される場合とは、ずばり、年齢因子だと思います。

なので、年齢因子に対してARTを行うなら、原則高刺激がいいのではないでしょうか。
但し、年齢因子の場合、卵巣予備能が高刺激を許してくれるかどうかにもよります。
卵巣予備能が低いのに、無理して高刺激で行っても、採卵数が低刺激と同程度では意味がありません。

一方、年齢因子が無く、純粋に卵管因子や男性因子に対してARTを行うなら、低刺激でいいと思うのですね。
で、結果が出なければ高刺激へステップアップするという考え方でいいのではないでしょうか?
これらの場合は、そもそも排卵誘発が治療の目的ではなく、ARTの手技・ステップが目的なわけです。
(ただし、もちろん強い精巣精子を使用するなどの強い男性因子の場合や受精障害の場合などは、「卵」の質が良くても、「胚」の質が低下することがあり、これを「数」でカバーする必要があるわけです。これらはやはり高刺激なのではないでしょうか。)


そんなわけで、低刺激法と高刺激法を敵対関係として考えるのは少し筋違いではないか?と僕は思っているわけです。
「私はこちらが好みだから」「体に優しそうだから」
といった、フィーリングなんて論外。
「何のためのARTなのか?」「何を乗り越えるためのARTなのか?」

といったそもそもの原点に遡って、
「ではその障害を乗り越えるために高刺激(排卵誘発)が必要なのか?それともARTの手技が必要なのか?

と考えれば、自ずと答えは出てくる筈だと僕は思っているのですが。

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