体外受精の培養液


体外受精の培養液の歴史

世界で初めて体外受精児が得られたのはEdwards先生とSteptoe先生により1978年のことです。
この時用いられた培養液はHam's F-10という名前の普通の細胞培養液だったそうです。

その後、現在に至るまで、大きくは2度の革命的変化が訪れました。
1つは、1985年、Quinn先生のHTF(=初期胚培養液)、もう一つは1998年、Gardner先生のsequential media(=胚盤胞培養液)です。

現在、胚盤胞移植という方法が広く用いられていますが、ここに至るまでにはそんな偉い先生たちの血のにじむような努力があってこそなのです。
ここでは、そんな培養液の超基本的な点をほんの少しだけお話してみたいと思います。

培養液のメカニズム

で、培養液の基本を理解するためには大きく二つ

を理解すると、培養液のメカニズムがわかり、ぐっと面白くなります。
(・・・・まあ、そもそも一般の方がそこまで知る必要はないかもしれませんが・・・、僕の趣味です(笑)。お付き合いください。)
ここでは、そのうちの一つ、「胚の代謝」の方をごくごく簡単に説明してみたいと思います。

超基本は、胚の「糖代謝」を理解できれば十分です。
胚ももちろん我々と同じで、栄養素を必要とするわけです。
基本は「ブドウ糖」なわけですね。高校の生物でやりましたね。
これを「解糖系」という経路を使って「ピルビン酸」まで分解してエネルギーを取り出します。

で、初期胚はあんまりエネルギーがいらないのですね。ブドウ糖なんて高エネルギー物質は要らない
「ピルビン酸」があれば十分です。
(ちなみに初期胚に対し高濃度のブドウ糖は逆に発生毒性を示します。)

逆に、胚盤胞になるころには、沢山のエネルギーが必要です。高エネルギー物質のブドウ糖をバンバン欲しがります

なので、まとめると、

となるわけです。
つまり、胚のステージによって必要な栄養素が変わるわけですね。
で、体外受精のステップでは、胚のステージによって培養液を次々変えていきます。

まず、卵子を採ってから受精させる過程
この段階では、ブドウ糖はどうなっていればいいですか?
「卵子は栄養をあまり必要としてないので、・・・・低い?」
ノンノン。この段階での培養液には高濃度のブドウ糖が含まれています
なぜかというと、この段階では、卵子は単独で存在しているわけでは無く、「卵丘細胞」という細胞にくるまれているのでした。
卵丘細胞は単に存在している「ゴミ」ではありません。
大事な卵子の「お守り」をしてくれています。
(ちなみにこの時期、卵丘細胞は透明帯を貫いて卵子と接続しています。)
そんな大事な卵丘細胞の代謝維持にブドウ糖が必要だからです。
さらには、この段階で低ブドウ糖にすると、精子運動性が低下し、受精率も低下することが知られています。
なので正解は「高ブドウ糖」です。

で、無事受精が済みました。初期胚培養に移ります。
この段階ではブドウ糖はあまり要らないので「低ブドウ糖」になります。
(ちなみに卵丘細胞もこの段階ではお役御免になっています。)

で、胚盤胞培養では、胚はたくさんのエネルギーを必要とするので「高ブドウ糖」になるわけですね。

こんな風に体外受精のステップでは、胚の栄養要求状況に応じて次々と培養液を変化させていきます
これをシーケンシャルメディア(sequential media)と呼んでいます。
この考え方を提唱したのが、前出のGardner先生です。
Gardner先生は、皆さんもお聞きになったことがあるかもしれません、あの「5AA」だの「4AB」だのの胚盤胞のステージ分類(「ガードナーの分類」)で有名な先生です。
僕も遠くから一度拝見したことがあるのですが、金髪のイケメンです。

ちなみに、本当にどうでもいいことですいませんが、「media」は「medium(メディウム=培養液)」の複数形です。
「sequential 」は「連続した」という意味ですね。

女性の体はこのステップを自動的に行っている

で、Gardner先生のこのシーケンシャルメディア(sequential media)の考え方の基となっている超有名論文がこちら。

です。
生殖医療に携わる人でこの論文を見たことがない人は恐らくいないだろう、という位超有名論文です。
この結果を見ると感動します。
何をやっているかというと、月経周期ごとの「卵管内容液」と「子宮内容液」に何がどの程度の濃度で溶けているのか?を解析しています。

前出してきた「ブドウ糖」濃度の結果を見てみると、

卵胞期卵管液:3.11±0.64mM
排卵期卵管液:0.50±0.21mM
黄体期卵管液:2.32±0.54mM

子宮内腔液:3.15±0..31mM

だったそうです。
どうですか!!なんと健気で感動的ではないですか!!
僕なんかこの結果を見るたびに涙がこぼれそうになってしまいます!!

・・・え?全然わからないですって?
・・・そりゃそうですわな。
解説します。

先ほど解説した「胚の代謝」を思い出してください。ブドウ糖濃度

のでした。

初期胚は普通「排卵期卵管液」の中にいるわけです。
一方、胚盤胞は「子宮内腔液」の中にいるわけです。
で、そういう目でもう一度卵管液のブドウ糖濃度の変化を見てみてください。

卵胞期卵管液:3.11±0.64mM ←濃い
排卵期卵管液:0.50±0.21mM ←薄くなってる!!
黄体期卵管液:2.32±0.54mM ←濃い

子宮内腔液:3.15±0..31mM ←濃い

ご理解いただけましたか?
そうなんですね。
卵管は、初期胚を受け入れる時期(つまり排卵期)だけ、ちゃんとブドウ糖濃度をわざわざ下げているんですね。
逆に子宮内腔液は胚盤胞を迎え入れるために、ちゃんとブドウ糖濃度が濃くなっているんです。

全ては胚のために、胚にベストなように、卵管も子宮も黙ってと毎周期毎周期準備しているわけです。
自動的に。
もちろん胚が来ない時にも。

自然ってすごいなぁ。
どうです?感動に値しませんか?

培養液は卵管ないし子宮内容液に似せて作られている

では、そういう目でもう一度体外受精の培養液の歴史を見てみましょう。
現在の初期胚培養液の基本は、Quinn先生のHTFです。論文はこちら。

です。
初期胚は生理的には卵管内に存在するわけですが、Quinn先生はマウスの卵管液成分も参考にしてHTFという培養液を作りました。
HTFはHuman(ヒト) Tubal(卵管) Fluid(液)の略ですね。

なんとこの時のHTFには9種類の成分しか入ってなかったそうです。

このHTF自体は完全に卵管液成分を模倣しきれていなかったため、1990年代に盛んに修正検討されました。その結果出来た培養液はmodified HTF(略してmHTF)と表現されています。

で、初期胚と胚盤胞での栄養要求性はガラッと変わることは書いて来ましたね。
生体では、「排卵期卵管液」と「子宮内容液」で成分が違っていることも書きました。
なので、HTFは胚盤胞培養には適しているとは言えないわけですね。
で、開発されたのが
「胚盤胞培養液」でした。
これも先ほど書いた通り、子宮内容液を成分分析し開発されたわけです(Gardner先生のこのシーケンシャルメディア)

そんな風に開発されてきた培養液ですが、今日現在、実際のART治療現場では「培養液屋さん」から購入しています。
有名どころで7社位かしら?
海外の上場企業です。

で、例に漏れず、各々の培養液会社が物凄いシェア争いをしています。
もちろん各社、培養液の成分の詳細についてはコ○・コーラばりの「トップシークレット」です。
もちろん僕なんかに詳細話してくれるわけありません。
伝え聞くともろによると、どうやら基本成分以外にも、あんなものやこんなもの、色々な成分が混ぜられているらしい。
で、今でもどんどんマイナーチェンジされています。

Gardner先生のこのシーケンシャルメディアから、ざっと15年が経過しております。
さぞかし進んでいる事でしょう。
でも、完全なる「卵管液の模倣」「子宮内容液の模倣」にはまだまだ遠いと考えるのが自然だと、僕は思っています。

直近のブーム「エンブリオ・グルー」

最近、培養液で盛り上がったと言えば、「EmbryoGlue(エンブリオ・グルー)」です。
まだまだ学会に行くと、この話題の演題が沢山出ています。(本ページを記載しているのは2014/1です)

前出の「ガードナー先生」とコラボレーションしている「Vitrolife(ビトロライフ)」という会社(確か、スウェーデンだかの会社)の商品です。
「通常の胚盤胞培養液にヒアルロン酸を大量に配合したもの」
だそうです。
これを何に使うかというと、もちろん胚盤胞培養にも使えるらしいのですが、高価なので、これで胚盤胞培養をするわけではありません。
エンブリオ・グルーで胚移植をするのです。
つまり、それまで普通の培養液(Vitrolifeは当然、Vitrolifeの培養液を勧めています)で培養してきて、胚移植直前にエンブリオ・グルーに移して、それで胚移植するのです。
そうすると、ヒアルロン酸が受精卵接着剤として働き、着床率が上がるらしいです。
Vitrolife曰く、
「有意に上昇することが示されています。」
と、自信ありげです。

で、「EmbryoGlue(エンブリオ・グルー)」は、ちょっとしたブームになっています。
「うちは効果あったよ」
「いやいや、変化ないんだけど」
などなど、さまざまな意見が出ている状況です。
僕はというと・・・、おはずかしながら惚れこんじゃっています。
何やってもなかなか結果が出なかった患者さんに使ったら一発妊娠したからです。
たまたまなのかも知れませんが、いい感触です。
(注:決して僕は「Vitrolife」の回し者ではありませんので(笑)あしからず。)


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