管理人が不妊屋になった経緯

もともと産婦人科医になった経緯も適当なものだった。 
医学生時代には、甲状腺ホルモンのフィードバック機構にえらく感心し、
「将来は内分泌・代謝内科医になる!」
と心に誓っていた。

そんな学生時代、産婦人科の臨床実習は、「分娩を2件見学してレポートを書く事」が課題だった。
他学部の学生となんら変わらず誘惑が多かった時代、分娩見学よりもっと楽しかったこと(主に銀玉球技)に時間を費やした。
実習の最終日、ヤバい。分娩一件しか見学していない。
しかもそういう日に限って分娩進行者がいない。

まあ、堂々としていたものだ。当時の指導医に
「分娩一件しか見てないんですけど、どうすればいいですか?」
と聞いた。
「ああ、うちに入局すれば、いくらでも見られるよ。」

以上が僕が産婦人科医になったきっかけです(実話)


そんな経緯で産婦人科医としての研修を始めた。
産婦人科の世界には当時、大きく分けて3つの専門領域があった。

僕の研修医時代の「イメージ」では、正直、「不妊」に行く連中は産婦人科医の中でも「落ちこぼれ」「仕事ができない奴が消去法で選ぶ」という印象があった(スイマセン)。
産婦人科医たるもの、バリバリお産をとりまくるか、オペしまくるかに決まってる!
不妊屋なんて美容と同じじゃ!医者としてありえん!
と、むしろ軽蔑すらしていた。
(本当にすいませんm(_ _)m。でも当時本当にそう思ってたんです。)

産婦人科医になってから10年目になったころ、そろそろ「専門性」を求め修行に出ようと思った。
考えていたのは「カルチ屋」(カルチとは癌のこと。つまり婦人科腫瘍を専門にしようと思っていた)。
都会の専門病院に無給素泊まりで修行に出る覚悟だった。

この頃僕は既に結婚していた(させられて?かな?)。
相手は助産婦さん(今は助産師という)。
修行の覚悟を心に決めていた頃は結婚3年目位だっただろうか?
同棲も長かったので、確かに既に「不妊期間」は結構行っていた。

で、例に漏れず、妻が騒ぎ始めていた。
「ああ!私は不妊だ!」
そうして雲行きが怪しくなってくる。
「基礎体温計買ってくる」
から始まって
「易の先生に占ってもらいに行ってくる。」
「旅行先は子宝温泉にしよう!あそこがいいという噂らしい。」
といった状態が続いた。
漢方薬はとっくに始めており、ある日仕事から帰ると、玄関中がオレンジ一色になっていたり(なんか風水でいいと書いてあったらしい)、お香がたいてあったり次第にヒートアップ。
流石に僕も無関心ではいられなくなり、誰も教えてくれない「不妊治療」を教科書片手に妻に実施。
タイミングは辛かったなぁ。day6位から(早っ!)隔日はduty。
「え?もう高温相に入ってるはずだよねぇ?」「いいや、まだ低温層」「嘘つけ!」「でも今晩もやる!」
そんな感じでした。(今じゃとてもとてもムリ)
卵管造影は痛かったらしい(もちろん僕がやった)。その日家に帰ったら殴られた。
今となっては禁じ手の「hMG hyperstimulation-hCG-AIH」も3クールぐらいやった。
夜中にこっそり病院に忍び込んで、自分の精液を遠心分離し、AIHもやった。
(今の知識で考えると、正直明らかに間違っていることもやってました。)
それでも全然妊娠しない。
「なんで私が不妊なのに、他人のお産取り上げなきゃいけないのかわからない!もう仕事辞めてきた!」
かなり精神的に追い詰められていたのだろう。
もうこうなったらしょうがない。
「じゃあ、体外やろう。僕がART専門病院に修行に行くよ。」
これが僕が不妊屋になったきっかけです。(本当)

ART専門病院に転職し(当初は苦痛で苦痛でしょうがなかった)、半年修行したら妻の体外に踏み切ろうと考えていた。
転職してまだ2ヶ月経たないある祭日、妻と昼ご飯を食べるために、あるバス停で待ち合わせをしていた。
都営バスの出口が開くと、妻がブンブン何かを振り回していた。
「陽性にでたよ~~~!!!」
そう。ひと目もはばからず、陽性が出た妊娠反応検査薬をブンブン振り回していた。
まるで「勝訴」と書かれた紙を持って裁判所から駆け出してくる人の様に見えた。

「おめでとう・・・・。でも、僕、何しにここに来たんだっけ???
結局natural-timingで勝負が着きました。多分、典型的なpick up障害です。

もう、今更引き返すことはできず、そのままART修行を続けました。
その後すっかり不妊診療にハマりました。
(そもそも内分泌好きだったのもありましたが。)
産婦人科医の癖に「睾丸」手術の執刀数も三桁に乗りました。
自分で顕微鏡を覗いた病理検体で最も多いのが「精細管」になりました。
「ああ、こんなに面白いこと今まで避けて来たなんてモッタイナイ。」
結局「成功体験」を味わえる医療ですから、ハマってしまうと「麻薬」のようなものなのでしょう(←管理人注:やったことないですよ!誤解なきよう!)。

で、現在に至ってます。
2児の父になりました。
ART修行も終え、今では一丁前に「不妊専門外来」なんてやってます。
そんな感じです。 

               2012年10月3日 どくさま 

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